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大徳寺は、京都市北区紫野大徳寺町にある寺院で臨済宗大徳寺派の大本山です。テレビアニメで知られる一休さんや茶人として有名な千利休とも縁の深い寺院です。緑が多くて、広々とした境内は地元の方のお散歩道や憩いの場としても親しまれています。
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※使用写真は堀出撮影のものではございません。
大徳寺の概要
大徳寺は山号は龍宝山(りゅうほうざん)で本尊は釈迦如来です。鎌倉時代の終わり頃、1315年(正和4年)に臨済宗の僧であった大燈国師宗峰妙超(だいとうこくししゅうほうみょうちょう)禅師が、武将であった赤松則村の帰依をうけて洛北紫野の地に、小さなお堂を作り開山しました。
第96第天皇後醍醐天皇の保護をうけて、一時は京都五山のさらにその上にまで位を上り詰めることになった大徳寺でしたが、1333年(元弘3年)に鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が始めた天皇を中心とする新しい政治(建武の新政)が足利尊氏によって、たった3年後に崩壊しました。
そして、後醍醐天皇による加護をうけていた大徳寺は、京都五山十刹のうち十刹の九位にまで落とされてしまいました。
そこで、大徳寺は幕府の庇護や管理の下にいることをやめて、在野に下り、座禅修行に徹するという厳しい禅宗の本来の形を歩んでいくことにしました。それを林下(りんか)といいます。
室町時代の1467年(応仁元年)になると11年もの長きに亘って戦乱の世の中になります。これを応仁の乱といいます。
この乱によって、大徳寺は建物は焼け落ち、すっかり荒廃してしまいました。その荒廃してしまった寺を救った僧がテレビアニメのモデルともなった一休宗純です。一休は大徳寺の中興の祖と言われています。
一休を師事し、大徳寺の復興の資金面の手助けをした中に堺の豪商がいます。堺の豪商のうちの一人には茶人で有名な千利休もいました。
そんなわけで、大徳寺では茶の湯が盛んとなり、戦国時代や次の時代になっても武将や権力者の帰依を受けて大きく発展していくこととなります。
大徳寺のおすすめ写真スポット
大徳寺の広大な敷地の中には20あまりもの塔頭があります。普段は非公開の塔頭が多いですが、特別公開を春や秋に行っているところもあります。
それぞれ美しい庭や素晴らしい建築、襖絵など見どころがたくさんです。webなどで下調べしてから、お気に入りの写真スポットを探してください。
大徳寺の本坊も特別公開の時だけ見ることができます。本坊の極彩色の唐門も写真スポットとしておすすめです。
大徳寺の交通アクセス・拝観案内
住所 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町53 |
拝観案内 | 9時から16時 |
料金 | 敷地内は基本無料で散策できますでが、塔頭などは拝観料が必要なこともあります。電話やwebなどで事前確認してください。 |
交通アクセス | 京都市営地下鉄「北大路駅」下車、徒歩約20分。京都市バス「大徳寺前」下車、徒歩すぐ。 |
その他のおすすめ写真スポットが知りたい場合は「京都の写真スポット検索」をご確認ください。
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