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寂光院はのどかな風景の広がる里山、京都の奥座敷、左京区大原にある天台宗の尼寺です。「平家物語」にゆかりのある寺院で、壇ノ浦の合戦で平家が滅亡した後も、建礼門院が尼となって、息子安徳天皇と平家一門を弔って、余生を送った寺としても知られています。
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※使用写真は堀出撮影のものではございません。
寂光院の概要
寂光院の歴史は古く、およそ1400年前から存在する由緒正しいお寺です。山号は清香山。寺号は玉泉寺。ご本尊は地蔵菩薩です。
建てられた謂れについては諸説ありますが、寺の言い伝えによると、594年(推古天皇2年)に聖徳太子が父の用明天皇の菩提を弔うために建立したのがはじまりとされています。
はじめにも触れましたが、古典で知られている「平家物語」にゆかりが深いお寺です。平清盛の娘、平徳子(のちの建礼門院)は清盛と後白河法皇の政治的な利害が一致したため、高倉天皇の后となりました。
なかなか子供に恵まれなかった徳子でしたが、結婚して7年後の1178年(治承2年)に言仁皇子を授かります。これがのちの安徳天皇です。
その後、平清盛のクーデターにより、後白河法皇は幽閉され、後白河院の院政は終わる事になります。
そのため、言仁皇子は1才8ヶ月で即位し、変わって父の高倉上皇が院政をはじめました。しかし、院政を開始した矢先に高倉上皇は病に倒れ、21歳の若さで亡くなります。
それによって、勢いをとりもどした後白河上皇と安徳天皇がいなければ天皇になるはずだったその息子以仁王が、平家討伐を全国の武士に発します。
すでに、その頃平清盛は熱病によって亡くなっていて、平家には以前のような力はありませんでした。
変わって力をつけてきた源氏に攻められた、徳子と数えで8歳となった安徳天皇と平家一門は西国に逃げます。
そして、最後の壇ノ浦の合戦を向かえるのです。もう、逃げ切れないと思った徳子と平家一門は次々に海に入水します。
しかし、徳子だけは源氏に助けられ生き残り、京都に連れ戻される事になりました。その後、出家して直如覚と名乗り、安徳天皇と平家一門の菩提を弔って生涯を大原寂光院で過ごしました。(建礼門院という名は院号です。)
2000年(平成12年)5月、放火により本堂が全焼、重要文化財の木造地蔵菩薩立像も焼損します。
しかし、奇跡的に外形は崩れる事なく残り、体内から3000体を超える仏像や経典が見つかりました。
2006年(平成18年)には本堂、木造地蔵菩薩立像ともに元どおりに復元され、作られた当時の美しい姿を見る事ができます。
寂光院のおすすめ写真スポット
寂光院のおすすめ写真スポットは山門へと続く石段の参道です。秋になると山門の周辺の木々が黄色や赤に染まり、グラデーションも美しく、石段と山門、紅葉の美しいコラボレーションを写す事ができるでしょう。
新緑の青もみじの頃も鮮やかで眩しい、雪の時は真っ白な雪に包まれた静かで厳かな雰囲気の寂光院を味わえます。
寂光院の交通アクセス・拝観案内
住所 | 京都府京都市左京区大原草生町676 |
拝観案内 | 12月1日〜2月以外は9:00~17:00。2月1日~2月は9:00~16:30。1月1日~1月3日 は9:00~16:00 |
料金 | 大人、高校生600円、中学生350円、小学生100円 |
交通アクセス | 京都駅から京都バスで約60分、下車してから徒歩約15分 |
その他のおすすめ写真スポットが知りたい場合は「京都の写真スポット検索」をご確認ください。
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