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神護寺は京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺迹(ゆいせき)本山の寺院です。山号は高尾山、本尊は薬師如来で開基は和気清麻呂(わけのきよまろ)とされています。高尾(神護寺)、栂尾(高山寺)、槙尾(西明寺)で三尾と言われ紅葉の名所でもあります。
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※使用写真は堀出撮影のものではございません。
神護寺の概要
神護寺は奈良時代末期から平安時代初期の貴族だった和気清麻呂(わけのきよまろ)が和気氏の菩提寺として建てた高尾山寺が始まりとされています。
大体同じ時期に国家安泰を願って清麻呂が建てた神願寺が河内にありましたが、その神願寺を824年(天長元年)に清麻呂の子の真綱(まつな)・仲世(なかよ)が高尾山寺と合併させて出来たのが神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)、つまり略して神護寺です。
清麻呂の子息だった弘世と真綱・仲世は清麻呂が亡くなった後に、最澄や空海などを次々と高尾山に招き入れました。唐から帰国した空海は809年(大同4)に山に入り、その後14年間高尾山寺で住持しました。
その14年間に空海は真綱・仲世、最澄ら弟子たちに密教の儀式である灌頂(弟子の頭頂に智水を灌ぎ(注ぎ),仏の位を継承させることを示す儀式で、つまり仏様と縁を結ぶということ)を授けました。
高野山真言宗遺迹本山というのは空海が住まわれた所という意味で、とても寺格の高い寺院にしかつけられません。日本ではこの神護寺と大阪河内長野市にある観心寺の二つだけです。
神護寺は994年(正暦5)と1149年(久安5)に続けて火災に合いました。その上、鳥羽法皇に寺宝を持っていかれるなどして衰退の一途をたどります。
その惨状を憂いた僧が文覚上人でした。しかし、しつこく後白河法皇に修復・再建のために浄財の寄付を求めたために、強訴の罪により伊豆に島流しされてしまいました。そこで出会ったのが源頼朝でした。
文覚上人は頼朝と手を組んで再び後白河法皇に働きかけて、見事再興することができました。
再興できた神護寺はその後頼朝の寄進などもあって、さらに復興してくこととなりました。また、応仁の乱で伽藍が焼失するなどその後も苦難はありましたが、なんども再建されて、現在に至ります。
神護寺のおすすめ写真スポット
神護寺のおすすめ写真スポットは山門に続く参道の階段です。(山門は1623年(元和9)に再建されました)。初夏には青もみじ、秋には紅葉と山門ともみじのコントラストが見事です。
境内も紅葉の名所と言われるだけあって、いたるところにおすすめ写真スポットがあります。金堂に続く階段の紅葉や地蔵院周辺の庭園の紅葉の美しさも絶対に見逃せないものです。
神護寺の交通アクセス・拝観案内
住所 | 京都市右京区梅ヶ畑高雄町5 |
拝観案内 | 年中無休、9:00から17:00(受付終了16:00) |
料金 | 大人〜中学生600円、小学生300円 |
交通アクセス | JR京都駅からバスで50分。山城高尾下車徒歩約12~20分。 |
その他のおすすめ写真スポットが知りたい場合は「京都の写真スポット検索」をご確認ください。
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