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妙心寺は京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の大本山で、約3400もの寺院を統括しています。総本山が各宗派の本山を束ねる最高位の寺院とすれば、大本山は次に位の高い寺院です。広大な境内には多くの塔頭が集まっていて、まるで寺院でできた町のようです。
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※使用写真は堀出撮影のものではございません。
妙心寺の概要
昔、現在の妙心寺があった一帯は「花園」と呼ばれていて、一年中様々な花が咲き乱れる素晴らしい場所でした。そして、花園の中には花園御所と呼ばれている花園上皇の離宮がありました。花園上皇が法皇になった1337年にこの世の平和を願って、関山慧玄(かんざんえげん)を開山として、この離宮を禅寺に改めたのが、妙心寺の開創とされています。
美濃(現在の岐阜)で修行していた関山慧玄の禅の方法はとても厳格で、その生活も、ものすごく質素なものでした。
妙心寺では現在でも開山の関山慧玄、二祖の授翁宗弼、三祖の無因宗因、四祖の日峰宗舜、五祖の義天玄承、六祖の雪江宗深までを「六祖」と呼んで崇め奉っています。
しばらく経った室町時代3代将軍足利義満の時代に、妙心寺に最大の危機が訪れました。応永6年(1399年)に大内義弘が義満に対して反旗を翻し敗れるという応永の乱が起こると、大内義弘と関係の深かった妙心寺が、義満の怒りをかい、寺地や寺領を没収されたのです。
没収された寺地や寺領を与えられたのは、足利義満の5男で青蓮院の義円でした。その寺領を義円は南禅寺の僧侶で足利一族である廷用宗器(ていようそうき)に与え、廷用宗器は名を龍雲寺と改めてしまいました。
そして、またその寺領の一部を南禅寺の僧侶・根外宗利(こんがいそうり)に与えました。そこで、開山の関山慧玄の流れをくむ根外宗利は妙心寺の中興に取り掛かります。実に寺領が没収されてから33年後の永享4年(1432年)になってからのことです。
寺地はすっかり荒れ果てていましたが、尾張(現在の愛知県西部)の青龍山瑞泉寺(せいりゅうざんずいせんじ)から迎えられた日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)(当時65歳)が、石やがれきを拾ったり、草や藪を抜いたりして、骨身を惜しまず働き、ついに妙心寺を復興させました。
妙心寺はその後も応仁・文明の乱などにより、何度も焼失などの災難に遭いますが、細川管領家や天皇家の援助を受けて復興を繰り返し、戦国時代になると戦国大名の加護を受けて大きく発展していくこととなります。
妙心寺のおすすめ写真スポット
妙心寺のおすすめ写真スポットは三門です。桃山時代の建築で国の重要文化財に指定されています。晴れた日などは朱塗りの三門が青い空に映えるでしょう。
普段は公開されていませんが、毎年6/18の午前中に行われる山門懺法という法要の時には特別に楼上に祀られている観世音菩薩や十六羅漢、柱や梁に描かれた色鮮やかな色の飛天や鳳凰・龍などを見ることができます。
妙心寺の交通アクセス・拝観案内
住所 | 京都府京都市右京区花園妙心寺町67 |
拝観案内 | 9:10~11:50(20分間隔で拝観案内)12時台は12:30分のみ、13:00〜16:40(20分間隔で拝観案内)、16時台は3月~10月のみの案内 |
料金 | 大人700円(団体630円)、小学生・中学生400円(団体)360円 |
交通アクセス | JR嵯峨野線「花園駅」下車徒歩 約5分 |
その他のおすすめ写真スポットが知りたい場合は「京都の写真スポット検索」をご確認ください。
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