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三千院は京都市左京区大原にある天台宗の寺院です。三千院門跡とも呼ばれ、代々の住職を皇族や公家が務めていました。山号は魚山(ぎょざん)で本尊は薬師如来です。静寂で緑深い大原の里にあるこの寺院では、街中の喧騒を離れてゆっくり過ごす事ができます。
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※使用写真は堀出撮影のものではございません。
三千院の概要
三千院は京都を観光する人たちにはとても有名な寺院ですが、実は大原での歴史は浅く、現在のこの地に移されたのは1871年(明治4)のことでした。
しかし寺院の歴史としては天台宗の門跡の中では一番古い歴史を持っていて、天台宗の開祖である最澄(766/767年〜822年)が比叡山に延暦寺根本中堂を建てたときに、寺内の大きな梨の木の下に円融房(えんにゅうぼう)と言う僧房(僧侶が寝起きする建物)を建てたのがその起こりだとされています。
その後、860年(貞観2)に承雲(じょううん)和尚が清和天皇の願いによって、比叡山麓に円融房の里坊(山寺の僧などが人里に作った住まい)を建てました。
里坊には円徳院という名が付けられていましたが、密教の儀式の一つである加持に使われる井戸(加持井)があったので梶井宮とも呼ばれました。
1118年(元永1)には、堀川天皇の皇子の最雲法親王(さいうんほっしんのう)が梶井宮に入寺し、それからは皇族や公室の子弟が住職となるのがしきたりとなったことから門跡寺院になりました。
そのこともあり「梶井宮」は「梶井門跡(かじいもんぜき)」と言われるようになりました。
また、1156年(保元1)に最雲法親王が天台座主になると、現在の三千院のある場所に梶井門跡の政所が作られます。
すでに古くから大原の地にあった来迎院や勝林院、現在の三千院の場所に今もある極楽院などの寺院を管理するために作られたそうです。
一方、比叡山の麓にあった梶井門跡は1232年(貞永1)に大火で焼失し、船岡山の麓など京都市内を転々とすることとなります。
そして、応仁の乱(1467~1477)によって、再び焼失、大原の政所に移りました。その後、江戸時代になった1698年(元禄11)徳川綱吉から京都市内の土地を与えられて、そこに移ります。
ようやく落ち着いたと思われた梶井門跡でしたが、それから170年後の1868年の明治時代、政府による徹底的な廃仏毀釈が行われ、寺領は全て没収、そして取り壊されましたが、寺宝だけは梶井門跡の政所に移されました。
1871(明治4)に梶井門跡の政所を本殿と定め、現在と同じく「三千院」と名乗るようになりました。このように今は静かに大原の地に佇む三千院ですが、その歴史は度重なる移転を繰りかえし、いろんな苦難を乗り越えた寺院だったのです。
三千院のおすすめ写真スポット
三千院のおすすめ写真スポットは聚碧園(しゅうへきえん)と有清園(ゆうせいえん)と言う名の二つの庭園です。
秋から春先にかけては山茶花や椿(つばき)春には桜、石楠花つつじ、初夏には紫陽花(あじさい)、秋には紅葉と、季節ごとに花や紅葉を楽しむことができる、苔の大変美しい庭園です。
三千院の交通アクセス・拝観案内
住所 | 京都府京都市左京区大原来迎院町540 |
拝観案内 | 3月から12月7日は8:30から17:00、12月8日から2月末日は9:00から16:30 |
料金 | 大人700円、中高生400円、小学生150円 |
交通アクセス | JR京都駅から市バスで60分、大原バス停下車徒歩約11分 |
その他のおすすめ写真スポットが知りたい場合は「京都の写真スポット検索」をご確認ください。
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