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青蓮院(しょうれんいん)は、京都市東山区粟田口三条坊町にある天台宗の寺院です。妙法院、三千院(梶井門跡)と並ぶ「天台宗三門跡」の一つで寺格の高い寺院で、青蓮院門跡とも呼ばれています。山号はなく、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)です。
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※使用写真は堀出撮影のものではございません。
青蓮院の概要
青蓮院もかつては妙法院と同じく最澄が比叡山に開いた山内に3000もあったという寺院の一つでした。寺院の近くにあった青蓮池にちなみ、青蓮坊と名付けられました。
最澄を始めとして、円仁、安恵、相応などの高僧の住まいとなったため、坊の中でも代表格とされていました。
初代の門主は関白で藤原師実の子で行玄(ぎょうげん)。行玄が住持することになって、青蓮坊の名も青蓮院に変わりました。
行玄が住持を2年間務めて、亡くなったそのあとに、今の粟田口三条坊町あたりに移ると、鳥羽上皇は第七皇子の覚快法親王(かくかいほっしんのう)を第2代門主として、行玄のあとを継がせます。
その後も歴代の門主として、鎌倉時代には関白九条兼実の弟で「愚管抄」の筆者としてもしられている慈円や、伏見天皇の第六皇子で青蓮院流という書の流派を築いた尊円など、幕末に至るまで代々、皇族や公家の家格の頂点である摂家の子弟が住職を務めたので門跡寺院となりました。
のちの1788年(天明8)には大火により御所が焼けた時に後桜町上皇が青蓮院に避難し仮御所としたために粟田御所とも呼ばれるようになりました。
青蓮院がもっとも栄えたのは第3世の門主であった慈円の頃とされ、浄土真宗を開いた親鸞も9歳の時に青蓮院で慈円によって出家となる儀式である得度を受けました。現在でも青蓮院は浄土真宗にとって聖地となっています。
1468年(応仁2)の応仁の乱による兵火で荒廃しましたが、豊臣秀吉や徳川家康によって再興されました。
しかし、1893年(明治26)の大火では建物の大部分を焼失することになります。現在ある建物はそれ以後に再建されたものです。
青蓮院のおすすめ写真スポット
青蓮院のおすすめ写真スポットは華頂殿から眺める相阿弥(そうあみ)が作ったと伝わる池泉回遊式の庭園です。
華頂殿も白書院という書院造の客殿で三十六歌仙の額絵や木村英輝氏が奉納した60面にも及ぶ蓮の襖絵も写真スポットして、とても人気があります。
青蓮院の交通アクセス・拝観案内
住所 | 京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1 |
拝観案内 | 9:00から17:00です。受付は16:30に終了。春と秋には夜間の特別拝観がありま す。 |
料金 | 大人は500円、中高生は400円、小学生は200円です。団体料金あり。 |
交通アクセス | 京都駅から市営バス5号系統に乗り「神宮道」で下車してから徒歩約5分。 |
その他のおすすめ写真スポットが知りたい場合は「京都の写真スポット検索」をご確認ください。
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