妙法院の写真スポット

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妙法院は京都市東山区にある天台宗の寺院です。国宝で約1000体もの千手観音像で有名な三十三間堂(蓮華王院 )を塔頭にもち、青蓮院、三千院(梶井門跡)と並んで「天台宗三門跡」と称され歴代の住持が天台座主を兼ねたことがあるという格式の高い寺院です。

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写真初心者のA子さん
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カメラマン堀出恒夫
カメラマン堀出恒夫

※使用写真は堀出撮影のものではございません。

妙法院の概要

妙法院のはじまりは、寺の言い伝えによるよ782年から806年の延暦年間に最澄が比叡山の山内寺院として開いたものとされています。

ほかにも、平安時代後期に後白河法皇が護持僧(天子を守るために加持祈祷する僧)の昌雲に法皇の御所であった法住寺のすぐそばの土地を与えてそこに住坊をつくったことがはじまりという説もあります。

写真初心者のA子さん
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諸説あるのですよ。

鎌倉時代には「綾小路房」や「綾小路御所」や「綾小路宮」などと号されたことから、現在の建仁寺の北あたりに主な住まいがあったことがうかがえます。

室町時代なると「バサラ大名」という名で有名になった佐々木道誉の息子の秀綱らの一党が東山で鷹狩りをした帰りに妙法寺の前を通り、寺にあった紅葉の枝を無断で折って、それを咎めた僧に打ち叩かれるという事件が起こりました。

バサラとは鎌倉時代末期から南北朝時代の時代に流行した派手な衣装を着て、上下の身分も関係ない、権力には従わず荒ぶる事をよしとする社会的風潮や文化的流行を言いますが、そんなバサラ大名であった佐々木道誉でしたので、わが子が打擲されたことに怒り、1340年(暦応3)に300騎もの兵を引き連れて、寺を焼打してしまいました。

さらに1467年(応仁元)から始まった応仁の乱などの兵火によって寺は荒廃していくこととなります。しかし、1595年(文禄4)に豊臣秀吉が方広寺大仏を造営する時に妙法院を大仏経蔵として再建しました。

1615年(慶長20)に大坂夏の陣で豊臣家が滅びると徳川家康によって現在の土地に移されました。そして、家康による直轄の支配下に置かれ、近世には現在の約20倍の境内を持つ、新日吉神社、蓮華王院(三十三間堂)、後白河法皇御影堂、方広寺大仏殿を支配する大寺院となったのです。

妙法院のおすすめ写真スポット

妙法院のおすすめ写真スポットは通用門の正面にある国宝の庫裡です。
カメラマン堀出恒夫
カメラマン堀出恒夫

妙法院のおすすめ写真スポットは通用門の正面にある国宝の庫裡です。この庫裡は豊臣秀吉が方広寺大仏の開眼供養を行った時に1000名も僧侶の食事を用意するために建造した当時の巨大な台所です。

天井の梁の巨大さ、自然木の梁と貫が見事に重なって、力づよく圧巻な風景です。ただし、通常は非公開で毎年秋になると特別公開されますが内部の写真は残念ながら厳禁です、重厚感たっぷりの国宝のキッチンを外から撮ってみてください。

妙法院の交通アクセス・拝観案内

住所 京都府京都市東山区妙法院前側町447
拝観案内 通常は非公開ですが境内は散策できます。特別公開の日時は電話などで確認してください。拝観時間は9:00~16:00
料金 大人800円(要確認)
交通アクセス 京都駅からは京都市営バスなどで「東山七条」下車徒歩約2分。京阪本線「七条駅」下車、徒歩約10分。

その他のおすすめ写真スポットが知りたい場合は「京都の写真スポット検索」をご確認ください。

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