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随心院は京都市山科区小野にある真言宗善通寺派大本山の寺院です。平安時代初期の歌人で絶世の美女だったと伝えられる有名な小野小町の小野一族とゆかりのある寺院です。春には約230本の梅が咲き誇る梅の名所で、恋愛成就の聖地としても女性に人気です。
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※使用写真は堀出撮影のものではございません。
隨心院の概要
昨日拝観させて頂いた隋心院のライトアップの様子をどうぞ😉👍#山科#隋心院#紅葉 pic.twitter.com/l8jdd2lYf4
— bonzz 竜也 (@bonsanz) December 1, 2019
随心院の歴史は991年(正暦2年)に弘法大師8代目の弟子の仁海僧正が一条天皇に土地を賜って、牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひざんまんだらじ)を建立した事から始まります。
牛皮山曼荼羅寺の名の由来ですが、仁海僧正はある時、亡くなった母が牛に生まれ変わった夢を見ました。その牛を探し求め、鳥羽のあたりで見つけて飼い育てますが、程なくしてその牛は死んでしまいます。
仁海僧正は嘆き悲しみ、その牛の皮に両界曼荼羅のお姿を写して書きご本尊にしたという事でこの名になりました。
牛の尾を山上に埋めて菩提を弔ったと言われる音羽山はその後牛尾山と人々から呼ばれるようになりました。
第五世の増俊阿闍梨の時に塔頭の一つとして随心院が建立されました。そして、1229年(寛喜元年)には第七世の親厳大僧正が後堀河天皇より門跡の勅旨を受けてから、随心院門跡になりました。これにより親厳大僧正が初代門跡となり、随心院大僧正とも称されるようになります。
建立以来、だんだんと整備が続けられて、やがて広大で美しい伽藍と堂舎を持ちましたが、承久の乱や応仁の乱などにより曼荼羅寺をはじめとして随心院など多くの塔頭は焼失してしまいました。
その後随心院はすっかり荒廃してしまいますが、安土桃山時代の1599年(慶長4年)に豊臣秀頼の援助を受けて公家の九条増孝が牛皮山曼荼羅寺のあった場所に本堂を再建しました。
1941年(昭和16年)には真言宗善通寺派となって、その大本山として現在に至ります。随心院のある場所、小野には小野小町で有名な小野一族が古くより栄えた場所で、境内にも小野小町ゆかりの史跡が今でも残されています。
隨心院のおすすめ写真スポット
小野小町ゆかりの山科・隋心院!
本堂「能の間」を飾る襖絵。この目を引く色使い…
古寺とのコントラストがアバンギャルド✨#京都 #そうだ京都行こう #隋心院 #小野小町#photo_travelers #photography #a_krphoto pic.twitter.com/dNifIshXMZ— Akira (@a_kr1205) January 14, 2020
随心院のおすすめ写真スポットは能の間から眺める庭園です。随心院は四季折々に人々の目を楽しませてくれる花が咲き、木々や美しい苔に覆われた庭のある緑豊かな寺院ですが、中でも能の間からの眺めはゆったりと心癒される風景です。
そして、同じく能の間には艶やかな色で一層目を引く襖絵があります。「極彩色梅匂小町絵図」といい、2009年に奉納されました。小野小町の一生を描いたもので「はねず色」と呼ばれる薄紅色を基調としています。今流行りのSNS映え間違いなしのおすすめ写真スポットです。
隨心院の交通アクセス・拝観案内
住所 | 京都府京都市山科区小野御霊町35 |
拝観案内 | 9:00から17:00まで(受付は16:30まで) |
料金 | 大人500円、中学生300円、小学生以下は無料。 |
交通アクセス | 京都市営地下鉄東西線「小野駅」から徒歩で約5分 |
その他のおすすめ写真スポットが知りたい場合は「京都の写真スポット検索」をご確認ください。
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